アダルトチルドレン3世代

26年生きてきて、アダルトチルドレンと気が付いた女のリハビリ記録

私の母とその母

私の自己紹介とともに、このブログを始めた経緯を書きます。

まず初めにこの日記は

当時の蓋をしていた自分の気持ちを聞いてあげるよう心がけて書いていきます。

リハビリのようなものになればな、という感じです。

 

まずは自己紹介から

名前はいもまる、26才、女です。サツマイモが大好きです。

私はずっと罪悪感とともに生きてきました。

例えば友達と旅行に行ったとき、宅配ピザを食べたとき、動物園でデートをしたとき

「私ばかりいい思いしてる」「お母さんになにもしてあげてないのに」

そんなことを当たり前のように考える瞬間があります。

それが普通だと思っていました。

だから、自分が少しいい思いをした時には親にお金を振り込んでいました(少ない額ですが)

 

ざっくりと家庭環境を書きます。

私が2歳の頃に両親が離婚、シングルマザーの母と3人の子供が残りました。

母は祖母の元へ引っ越し、貧乏時代の始まりです。笑

そして私は母の悪口を祖母から聞かされ、それを知った母からは嫌われ、居場所がなく祖母のところへ遊びに行くという状況でした。

母の口癖は祖母に可愛がられたことがないでした。

母は仕事を掛け持ちし、子供たちと会話する時間はほとんどありませんでした。

その頃なぜか私は保育園に行くことを嫌がりよく泣いていました。

すると母が施設に預けたい、それか祖母にもらってほしいと言っていました。私が寝ていると思って祖母に話していたのですが、そんな時って起きているものですよね。笑

 

私は自分が捨てられるかもしれない。悲しくて怖くて、また泣くことしかできませんでした。

そんな幼少期を過ごし、中学に上がった頃にはとうとうお金が無くなりました。

子ども手当なども支給されていましたが、大きな原因は母のパチンコでした。

そこから我が家の時間は止まったように思います。・・・続く

 

今でも母に対しての感情を言葉にすることができません。

クリスマスにうさぎが欲しいと書くと、ピカチュウのぬいぐるみをくれました。

自転車が欲しいと書くと、遠くのホームセンターから水色の三輪車を母が漕いで持って帰ってプレゼントしてくれました。

私の好きなものを覚えていてくれました。

 

母のこと考えると、好き嫌いではなく

罪悪感で涙が止まらなくなります。

それでも、娘が一人で生きていること、幸せになることが親にとっても幸せと考えて

私は生きていこうと思います。